初めまして、RYUと申します!
当ブログにアクセスいただきありがとうございます。ブログではRYUとして活動をしていますので以後よろしくお願いします!
このブログではebayやamazonを利用した輸出ビジネスを中心にさらに完全在宅で社員を一人も雇わないように完全外注化にて回せる仕組みづくりをしたビジネスモデルについて語っております。どこか興味のある方はぜひ見ていってください。
早速ですが、私は高校中退の元料理人です、さらに3児の親父、もともと年収300万で家と車のローンを抱えた男でした。皆さんはおそらくここまで酷くはないでしょうね、しかし今の職業や自分の家族、年収などについて悩みがある方はいると思います。当時の私はこんな事を悩んでいました。
- とにかく今の生活や仕事に満足出来ない。
- 会社ではめちゃめちゃ頑張っているのに報われない
- とにかく金が必要なんだよ!
- あれ?誰のために働いてるの?
- 自分の力はこんなもんじゃないだろ!
- 絶対人生このままで終わりたくない!
- 子供と一緒にいたい。
- 自由にコントロールできる時間が欲しい
- 他人と一緒にされたくない
- もっと高みを目指したい!
上記に共感出来る、何か感じると言う人は読み進めて見てください。私が数年前に思っていた事なので参考になることがあれば幸いです。では、では私のことについてちょっと詳しく話させてもらいます。
注意:記事は長いのです。
ブログとかを先に見てもらい、こういったパソコンなどを使ったビジネスをしている人は何かもともと出来るんだと思っていたらそれは違います。上記でも書きましたがもともと私はただの雇われ料理人です、そんな男がなぜネットビジネスを始めたのか?めんどくさいですが生い立ちから話させてもらいます。
私は京都生まれ京都育ちです。京都生まれっていえば、なんか聞こえがいいですが実際の京都人からしたら”そこは京都じゃないよ”と言われてしまうような有名な観光地などからは程遠い、山を一つ超えた地域で生まれ育ちました。
育った街が京都の中でもスラム街と呼ばれていたような地域で、小学生時代から普通では考えられないような経験をしました。当時はそれが普通だと思っていたのですが、大人になり普通ではないと知りました。。笑 と、言っても殺人があったりとかそういう事ではないのでご安心を。
とにかく治安の悪い地域だったのでヤンキーとか酔っ払いがそこら中に多数いた記憶あります。そんな治安の悪い地域で育ったのですが、
私自身は、不良になることも無く中学時代にはクラブ活動の柔道に打ち込み京都府内ではそれなりの成績を収める事もありました。ですが、中学を卒業し高校に進む時に人生の第一関門がやってきました。クラブ活動のおかげさまで、勉強のほうはまったく身に入らずの生活だったもんで高校受験では、相当苦労をしました。
当時、私達の時代は公立高校の普通科にいく事の方が難しい時代でした。中学3年生の受験の時期に学校の先生には”公立に受かるのは難しい”と言われ、親には私立には行かせられないと言われ、15歳でいきなり道が閉ざされた感がありました。地元が地元なだけに周りは高校に行かず働くとか言ってるヤツ、定時制高校に通うって言ってる人も多数いました。私自身、無知で地元の高校の名前も知らない状態なのに。。
でもなんだかんだありましたが、結論を言うとなんとかまだ入りやすいと言われる公立工業高校に受かりました。大した事はないと思いますが、勉強してないので苦労した記憶があります。で、なんとか苦労して受かった高校生活はどうなったかといいますと開始早々に高校生活にまったく価値と意味を見出せずほとんど毎日サボって行かなくなりました。電車通学もめんどくさいし、特に部活などをしなかったので勉強だけで行く意味を感じられませんでしたね。
あとほとんど学校の95%は男子だし。。結局行く意味を感じられない中、無駄に通う事もできず入学後半年ぐらいで辞めたいと親に告げました。まぁ、怒られました。
- とりあえず我慢していけ
- 高校くらいは出とかないとだめ
とか根拠のない理由ばかりを並べられて説得された時は辞めたい気持ちが倍増しましたね。行けと言われてもそんな無意味に行く事が嫌で最終的には入学後半年で休学という形で辞めました。まぁ、こんな人間です。
ですが、1人で辞めた訳じゃ無く一緒に受かった友達もこの時に辞めました。地元の同級生達の大半も高校を中退していたのです。なんだかんだで周りの環境が影響してるんですよね。
結局辞めてからしばらくして親からは家を出て行けと言われ、祖父母の家に間借りさせてもらい生きていくためにアルバイトを生活成り立たせる事になりました。選んだ業種は、厨房の調理補助。少ない選択肢の中から選んだ業種がたまたま料理だっただけです。そこからは結局話をずーっと飛ばし料理人としていろんなとこに勤めながら、生きてきたという感じです。
その後、20歳の時に職場で出会った女性と23歳で結婚。結婚もしたので、これからはちゃんとして行かないと思い。ある飲食店を経営する会社に就職し、そこで「誰よりもがんばっていこう!」と決意しました。当時の私は世間知らずで無知でした。料理人というは普通のサラリーマンと違って技術手当のいうインセンティブがプラスされたたくさんの給料をもらっているとイメージを持っていたのです。
だから、勉強して勉強して料理の技術を磨き、自分の料理のファンをたくさんつければたくさんの給料(50万くらいは)がもらえるはずだ。なので一生困らないほどの技術を身につけるんだと!まじめだった私は、おそらく同じ会社で働く同僚の誰よりも料理の勉強をしたと思います。
休日が少ない業界でしたが、少ない休みも自腹を切って人気の料理店に通い、味や技術、接客を勉強しました。努力の甲斐あってか、次第にお客さんにも自分の料理が認められ、クO性格の悪い料理長も私の事を少しは認めてくれるようになりました。でなんだかんだで入社時に上にいた方達が独立や退社、移動でポストが空き、気がつけば店長としてそのお店を任されるようになっていました。
これはたくさん給料もらえるチャンスだと思い、頑張りました。お店の前年売上なども大幅にアップしそれなりに結果をだして来たと思います。自分でもいろんなことをしたのがよかったのでしょう。ですが、そんな事をしても全然給料が上がりませんでした。
昇給とかいっても月1万とかのレベル。店長になって売上げ上げても給料が上がらない。次何を目指せばいいか分からない。しかも子供が出来て時間もお金も必要。ギリギリ生きていけるかくらいの給料でこの先ずっと働かないのかと思うと。一気に奴隷になった気分でした。
なぜかというと結婚して子供がいるので今度は簡単にやめる事が出来ない。中古で買った家のローンが35年あり毎月の生活費は給料でギリギリ自分のおこずかいは2万くらい。数年後に大きくなる子供を育てるお金の計算をしても全く持って足らない。足りても自分は何も出来ない。朝から晩まで働いて、遊ぶ金もない。
休みもない。。
え?人生ってこんな感じなの?って20代後半でようやく気がつきました。ちゃんと学校行ってちゃんと就職してる人はもっと違うのかなと色々と調べました。いろんな人に話を聞いたら他の会社に勤めている人はもっと酷い環境もある事を知り頭が真っ白になりました。。じゃあ何、自分で飲食店のお店をするなどして独立をするしかないのか。。とそれしか思い浮かばなかったです。
ただ、お店を任されているのもあったのである程度数字というのはわかりました。そんなにバカみたい儲からない。ただ飲食店が儲からないと意味ではありません。自分がしたい料理、飲食店の現状、他のオーナーの事例をみても明らかに容易な事ではありません。莫大な初期費用に毎月の固定費に人件費。しかも人材不足の不人気業界。さらに時間が自由ではない。
もうすでに子供が3人いる自分が無謀に
こんなハイリスクなビジネスはできない。
次は開業したお店の奴隷になると分かりました。
それが分かった瞬間に一気に生きている意味を失いかけました。この業界の報酬の少なさや、時間の無さ、衰退産業とまで言われている現状勤めて働いていることに希望が持てないのに、さらに自分の家族と接する時間もない、ちいさな可愛い子供にも起きたらいない 帰ったら寝てる。これ何の為に生きてるの?
はっきり言って「うつ病寸前」でした、ですが家族を守る身としてはそんな事には絶対になれないので必死に次の手を模索しました。世の中の金持ちは一体何をしてるんだ。。またお金持ちでは無くても自由に生きている人はどうしてるんだ。他業種の人の話を聞いたり、本を読んだり、時間のない中に全力で抜け道を探しました。
で、出会ったのがインターネットを使った海外輸出ビジネスです。昔ヤフオクの経験があった私は 直感でコレやと感じで思いました。今の時代はインターネットを利用すれば簡単に誰でも海外に物が販売出来るんです。海外に個人で物が売れる。当時の仕事より可能性ありまくりですよね。ですが、もちろんパソコンは持ってませんし、情報もありません。毎日の業務に終われ時間がありません。
なので、私はその時にきっぱりと料理人として生きていく事を辞めようと思いました。はっきり言って先がない。無意味。会社を辞めて時間を作りこのビジネスを勉強しよう。その為にはしたくもない仕事やアルバイトなどをして繋げばいいやと思えました。それでまずは副業として開始していくと事にしました。でもなんだかんだで前職を辞めたおかげですぐに結果が出ました。
あとが無いから頑張れるってのもあったのですが、「奴隷から解放された」気分でストレスが全くなくったのも、デカイです。毎日帰ったら寝ていて見れなかった自分の子供の顔を見れたのもよかったんだと思います。
子供が生まれたばかりで一番可愛い時期に一緒に生活できない人がたくさんいるのを知っています。子供が朝寝ている時に出社して寝ている時に帰宅する人も多いのも知っています。子供が生まればかりなのに単身赴任で違う生活を送っている人がいるのも知っています。しかも大した給料ももらえずに。。奥さんも自動的に苦労する羽目になり、、そんな「社会の奴隷」になってませんか?
子供がいて月30万の給料なんかではまともな生活をおくれません、間違いなくある程度のお金は必要ですし、生きてると実感できる時間も必要です。
ですが私は今は家族と自由な時間を過ごし自由な生活する環境を手に入れました。ほとんどの人間は気がつかないうちに「社会の奴隷」いわゆる「ラットレース」をしています。知らない人は「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで見てください。中退の私には分厚い本なので読むのに苦労しましたけどね。
とにかく私はインターネットビジネスを選んで「奴隷から解放」されました。現在では35年ローンで買った中古の家も売り飛ばし、自分の住みたいと思っていた土地に賃貸一軒家に暮らしています。家賃がローンの返済が、優先では無く自分が住みたいを優先に出来ました。毎日子供の顔を見ながら仕事を出来ますし、自分で時間をコントロールして遊びに行く事だって可能です。
物欲はあまりありませんが、毎週のように趣味の釣りに行ってます。インターネットのビジネスを知ってから理解して結果を出すまでは努力をしました。ただその努力って会社勤めをしてた時の努力とさほど変わりません。違うのは見返りの給料の額です1年間頑張って頑張って月1万の昇給に比べたら、頑張れば月100万なんて夢ではないです。どうせ努力をするなら見返りのある所で努力をした方がいいです。会社で上司に気を使ったりして頑張って残業してるのは無駄な努力だと思います。
何か自分も頑張りたいと思っている方は私のメルマガやLINE登録しておいて下さい。メルマガやLINEではそのインターネット使った輸出ビジネスについて発信しています。あなたがもし私の過去と同じ悩みを持っているのであれば是非私にメッセージを下さい。あなたの話を是非聞きたいです。
少しでも多くの方のお役に立てれば幸いです!
最後までありがとうございました!
〜RYU 経歴〜
1985年 京都生まれ。
2003年 見習い料理人として社会にでる(17歳)
2015年 1月 サラリーマンをやめて独立
2015年 2月 amazon輸出ビジネスを開始
2015年 5月 利益で月30万達成
2015年 10月 輸出業として法人を設立
2015年 12月 利益で月200万達成
2017年 airbnbを利用した民泊事業開始
2017年 12月 総売上1200万達成
2019年 youtubeやブログ運営開始
2020年 ebay輸出を中心に約6つのアカウントを運営中